※これは4月1日YouTube動画の原稿台本です。
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こんにちは、ドルメロチャンネルです。
さて今回は日本の種牡馬シリーズ動画の第1回目として、競馬黎明期に現れた2頭のライバル種牡馬とその血統背景をご紹介していきます。
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最初にお話ししておくと、このシリーズは種牡馬の解説動画とはいいながらも、1頭1頭の成績面や馬体などに焦点を当てた馬図鑑ではありません。
むしろこれまでプロローグからお話してきたドルメロ独自の新しい視点、種牡馬を3つのタイプに分けてその登場から衰退までの流れを見ることで、時代を彩った名種牡馬が血統面でどんな役割を果たしていたのかに焦点を当てています。
その際基本的な知識の手助けとして、スピードの種マッチェム、形のヘロド、そして他の2系統を橋渡しする大樹役のエクリプスという、サラブレッドの三大始祖にはそれぞれ異なる役割があったことをご理解ください。
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さて今回ご紹介する2頭の種牡馬、シアンモアとトウルヌソルよりもさらに前、本当の黎明期に日本に輸入された種牡馬たちもまた非常に優秀な存在でした。
名前を挙げればインタグリオー、ガロン、チャペルブラムプトンなどがそれに該当しますが、今回の調査でこれらシアンモア以前の輸入種牡馬たちには血統的にいくつかの共通点があったことがわかりました。
ただこの3頭はそれぞれ宮内省、陸軍省、小岩井農場という官民異なる生産主体により導入されたものですから、馬を選ぶ基準は全く違ったはず。なのに3頭はほぼ同じ血統背景を持っていた。ここに解き明かされないひとつの謎があります。
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ではこの3頭にはどんな血統的特徴があったのか。
例としてその中の1頭、ガロンを紹介しましょう。
ガロンは1912年(大正元年)に陸軍の馬政局が導入した馬。
陸軍が主体ということは、元々は軍馬の改良に使うための種牡馬ですね。
3頭共通の血統パターンひとつめは、父系のゼロ活性産駒であったこと。
ガロンの父Gallinule、祖父のIsonomyは当時どちらも大変影響力の強い種牡馬でしたが、ガロンに関しては少なくとも父系のどちらかはゼロ活性だったと考えられますし、インタグリオーは父Childwickか祖父St. Simonがゼロ、チャペルブラムプトンも父Beppoにゼロの可能性があります。
共通パターンのふたつめは、優先祖先がヘロド系であること。
とくにガロンとインタグリオーは、全く同じCremorneという祖先の形を遺伝しています。
であるならば、これら3頭はもっぱら「形の役割」を持つ種牡馬ではないのか。
確かにそう考えることもできるのですが、私は3頭がともにゼロ活性産駒という点からも、これらは大樹型の種牡馬だと見ています。というのはさらに優先祖先Cremorneの血統を見てみると、
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このCremorneという馬は、自分の5代血統内に優性の父を一切持たないいわゆる女系の牡馬にあたるんです。
女系配合の目的はスピードの蓄積です。ヘロドの形は確かに優秀ですが、その形だけでは世に出られない。そこで現代なら血統内にスピードの種つまりクロスを作ろうと考えるのですが、当時はまだ三大始祖の登場から50年も経っておらず、祖先の絶対数が少ないですから、単に配合しただけでも自然に濃いクロスが生じて弊害が大きい。
こういう場合に、父の劣性期という配合手法が生きてきます。
まず劣性なら一代限りでもクロスの濃度が薄まり、もっと代を重ねていけばアウトブリードに近づき、さらに弊害が減る。そして何より劣性の配合を代々繰り返すだけでも牝系にスピードが蓄積してくる。
こうして誕生したこのCremorneという馬は、女系だからもはやバリバリ「形」の種牡馬とは言いがたい。むしろスピード面により見るべき要素が詰まった種牡馬といえます。
そしてこういう女系の種牡馬が血統内でいきいきするのが、将来どこかで父の劣性期配合に現れた時。ガロンのように無理に父の形を出そうとしない配合のときに、やんわりと形とスピードの源になってくれるのです。
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これはシアンモア以前の輸入種牡馬たちの共通血統パターンをまとめた表です。
お話ししたように、まず3頭ともに直系の父や祖父がゼロ活性である。また優先祖先がヘロドの形を遠く細く継ぎながらも、女系配合によってスピードをしっかり蓄積し未来のどこかで開花させる日を待っている。
そう、この3頭はどちらかというと待ちの姿勢だから、スーパースター登場の前段階としては最適な役割なんですよね。
しかしなぜこんなにも似たタイプの種牡馬ばかりが、全く違う人たちの手で日本に連れてこられたのか。石塚栄五郎に匹敵する血統の達人が、他にも当時の日本にいたという証拠なのでしょうか。
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3頭の大樹系種牡馬の配合、とくにスピードと形の継承の流れを図にしてみました。
まず三大始祖の中で一番形に優れたヘロドの形をもった牝馬から配合がスタートします。
そこへ本来ならスピードの種を播きたいものの、ちょっと配合すればクロスが濃厚なこの時代には、種を播くという行為自体が難しい。そこでクロスからの脱却と健全なスピードの蓄積を図る意味で、何世代にもわたる劣性牡馬の女系配合がなされた。
この間の牡馬は劣性期だからヘロドの形が大々的に世に出ることはないが、こうして時代をずらして将来再び発現させることで、数十年間にわたりヘロド系の形とスピードの保存が両方可能になる。
同時代にヘロドの同系配合の危険性がなくなれば、ゼロ活性の種牡馬内に凍結保存していたヘロド系を再び使えるよう解凍し、形とスピードの芽を出させる用意をする。
ヘロドの保存と解凍というタイトルがピッタリのシステムですね。
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こうしてシアンモア以前の10年間に解き放たれたヘロド系の形と女系の蓄積スピードは、これら大樹系の父たちによって、日本産サラブレッドの血統表のなかにじっくりと、しかし確実に織り込まれていきました。
スーパーサイヤーの成立には、こうした登場順と時代背景が大きく影響します。
明治から大正にかけたこのひと手間が、後のシアンモアとトウルヌソルの成功に大きく貢献したのは間違いないところ。
ではそのシアンモアやトウルヌソルはどんな種牡馬だったのか、早速見ていきましょう。
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こうして3頭の大樹系種牡馬が舞台を整えていた一方で、いよいよ「競馬」というものの未来像がおぼろげに見えてきた時代に合わせて、財閥系の小岩井は更なるサラブレッドの種牡馬導入に舵を切るわけです。
馬の選定と購買の大役を任された若き日の石塚栄五郎は、当初渡航先のイギリスでみっちり1年間かけ慎重に馬の選定作業をするつもりでしたが、金銭的また時間的制約も迫る中、望み得る最高の種牡馬に白羽の矢を立てました。
その馬こそがシアンモアだったんです。
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これがシアンモアの血統表です。
天才・石塚の頭脳には及ぶべくもありませんが、私なりにこのシアンモアという馬を分析してみると、2つの血統ポイントが挙げられます。
ひとつは、前時代の遺物St. Simonとの付き合い方です。
直系はもはや衰退気味とはいえ、登場から40年を経てもなお多く残るSt. Simonの名前とどう付き合うか。石塚の採った策は排除ではなく、共存路線でした。
シアンモアは自身はアウトブリード配合ですが、母系にはSt. Simonと全きょうだいの姉Angelicaの名前があります。つまりシアンモアの母Orlassは、この全きょうだいクロスをスピードの源としています。
ところがシアンモアを配合する際は、これが諸刃の剣となります。
もし繁殖側にもSt. Simonの名がある場合、発生するクロスは1本ではなく正確には2本扱いになるでしょう。効果がクロス2本分というならば、弊害も2本分だという事実を受け入れる必要があります。
ポイントのふたつめは、石塚が直系の父の形をある程度評価していたのではないかということ。
シアンモアの形の源はハッキリせず、父似も母似もあり得ます。
もし母系4代前のLesterlinがゼロならばシアンモアは父似で、直系のBuchanやSunstarの形を継ぐ正統後継の可能性があります。
とくにSunstarは当時影響力が大きい種牡馬だったので、Buchanからの直系ラインを狙った石塚の考え、期待値というものは決して間違っていませんでした。
ただこのSunstar系、優先祖先をたどると実は5代前のPilgrimageという牝馬に遡ります。
このPilgrimageがたいへん偉大な牝馬でして、自身がクロスされた成功例もあまたあるほか、娘のCanterbury PilgrimからはChaucerやSwynfordといった重要系統の主が複数出るほどの超・優秀牝系なんです。
よってシアンモアというかSunstarとBuchanは、ひょっとしたら形よりはスピードの種系の種牡馬ではなかったかというのがドルメロの見立てでして、その証拠に名牝Pilgrimage自身の5代前の優先祖先がこういう牝馬なんです。
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名前の読み方はボーディシアで統一しますが、彼女はサラブレッド三大始祖のひとつGodolphin Arabianの多重クロス馬です。
ドルメロ説ではGodolphin Arabianはスピードアップの役目をする系統で、おそらくは三大始祖の中で最も速く走れた馬、またはそのように改良されていたアラブ馬ではないかと思います。
ボーディシアそして子孫のPilgrimageは、そのGodolphin Arabianからスピードの種を強力に受け継いだ末裔の1頭だったのです。
普通サラブレッドの優先祖先とは主に馬の「形」の遺伝経路を見る方法ですが、その優先祖先の配合を見ることで、子孫に遺伝した他の因子を予測できることがあります。
形の種牡馬の優先祖先がアウトブリード配合であったり、逆にスピード系牝馬の優先祖先がこうした多重クロス馬であることは良くあるケースで、とくに黎明期のサラブレッドは三大始祖付近まで遡ると、その馬がもつタイプの本質がよく見えてきます。
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もうひとつ種牡馬のタイプを決定づけるのが、活躍した産駒の配合内容です。
これをみるとシアンモアの代表産駒には、ハッキリとした父似の馬がほとんど見当たりません。
また完全なアウトブリード配合の産駒もいませんし、もしSt. Simonクロスが1本あるならそこには全きょうだいの姉Angelicaもクロスするわけで、実際の生きたクロス数はこれよりもかなり多かったと思われます。
このことからもシアンモアは形ではなく、スピードの種・種牡馬ではないかと想像できるのです。
適度なクロスでスピードを固定する生産法は、種牡馬活動の初期に多くの馬を勝たせ、スタートダッシュを決めるため非常に有効な手段となります。
事実シアンモアは、トウルヌソルよりも一足先に1934年リーディングの座につきます。
ところが翌年からすぐトウルヌソルとは立場が逆転し、以後ずっとトウルヌソル王朝の2番手以下の存在に甘んじることになります。
シアンモアの思わぬ失速はなぜ起きたのか。その謎を解くため、次のコーナーでは御料牧場に降り立った最強のライバル・トウルヌソルの躍進ぶりをみていきます。
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苦労してイギリスからシアンモアを連れてきた石塚でしたが、彼にはひとつの誤算がありました。それはライバル・御料牧場のトウルヌソルこそが、長く望まれていた、時代を切り裂く「形」の種牡馬であったことです。
ただし形の種牡馬が生産界に深く根付くには、それなりの準備段階が必要です。
大スター種牡馬のあとに弱い形の種牡馬を持ってきても、純粋に劣っているならそれは容赦なく自然淘汰されてしまいます。
これまでお話ししたように、明治後期から大正にかけて日本には最初スピードの種を含む大樹型の種牡馬が導入され、じっくりと日本の土壌に浸透していきました。その種をクロスという形で使ってまず先手を獲ったのがスピードの種牡馬シアンモアでした。
しかしクロスによる生産には一定の限界値が存在します。言ってみれば飛び抜けた大物、つまりは後継者が現れにくいのです。
そこへゆっくり自分の優れた形を浸透させ、クロスに頼らない大物を出し始めたのがトウルヌソルだったというわけです。
一度こうして形の種牡馬の全盛期までサイクルが回ってしまうと、元のスピード種牡馬に覇権が戻ることはまずありません。それだけ形の種牡馬の威力は絶大なのです。
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これがトウルヌソルの血統表です。
彼もシアンモアと同じ1927年、こちらは宮内省の依頼で丹下謙吉という獣医学博士が差配し、下総御料牧場に導入されました。
直系の父はGainsborough。イギリスの3冠馬でありトウルヌソルの後にもHyperionという大物を出す、当代きっての形の種牡馬の代表です。
Gainsboroughの一番大きな血統的特徴としては、その父のBayardoがゼロ活性ではないかということ。それがHamptonやGalopinのクロスを未然に防ぎ、配合に軽さを与え、長い期間活力を失わなかった理由のひとつでしょう。
直仔であるトウルヌソルの血統表には一見かなりの数のクロスがありますが、テシオ理論で見た場合、トウルヌソル自身の配合に関しては弊害無しのアウトブリードの可能性まであり、さらに生きているクロス自体がこのSt. Simon1本だけという可能性もあります。
それがトウルヌソル産駒の配合を健全なものにとどめ、形の優位性を直接産駒に届けられた。
形の種牡馬の後継者は、ほぼアウトブリード配合であることが多いです。
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トウルヌソルの主要産駒の配合内容を見ても、シアンモア産駒とはかなり傾向が違います。
しっかり判別できる父似の産駒が多いこと、クロスの弊害をよく避けていること、完全なアウトブリード配合でも大物が出ること。そして母似ではあるものの、後継となるアウトブリード配合のクモハタが後にリーディングを獲得し、さらに孫のメイジヒカリがアウトブリードで登場する。このあたりが形に優れたアウトブリード種牡馬の証明とも言えます。
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トウルヌソルの躍進はその血統的意義からだけでなく、御料牧場による新しい牝系の導入にも後押しされました。
中でもおなじみ「星」という頭文字がついたアメリカ系輸入繁殖との配合では、ただでさえ軽い血を持つトウルヌソルとアウトブリードになりやすい利点を最大限活かすことができたのです。
本馬は1939年の中山四歳牝馬特別いわゆる第1回目の桜花賞を制したソールレディという牝馬ですが、母は英語名Valiant Lady 輸入繁殖「星浜」です。
ひとつ気がつくのは、この星浜自身が過去から順に「形」「大樹」「スピード」というサイクルで配合をされた繁殖であり、まるで次世代には、形の種牡馬の登場を待っていたかのようなタイミングでトウルヌソルと出逢っていることです。
しかも母父がSwynford系ということなら、彼はシアンモア同様、名牝Pilgrimageの系統ですから、この配合は母父シアンモアの疑似配合とも言える。
実例はあまりないのですが、私は母父シアンモア→父トウルヌソルの順で配合されたら、あるいは成功産駒が出たかもしれないと思っています。
現に1940年代に入ると、母父トウルヌソルに父シアンモアという反対順配合の活躍馬もちらほら出ますが、やはり超大物までには届かなかったようです。
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こうして戦前昭和の日本馬産界は、一瞬にしてトウルヌソルの天下となりました。
いやシアンモアの実績も素晴らしかったのですが、トウルヌソルがあまりにも強すぎた。
1941年ダイオライトに奪われるまで、トウルヌソルのリーディングは6年間も続きました。
同じイギリスで宝石シアンモアを見いだしたはずの石塚氏の心中たるや、やはり穏やかではなかったでしょう。
自らの血統論を駆使し厳しい制約の中でベストを尽くしたはずの秘蔵っ子が、一番のライバル牧場の種牡馬に駆逐されていく。2番ではダメな世界とわかっているからこそ、彼の苦悩、挫折感は大きかったはずです。
そしてこの経験は、戦後の石塚氏の行動にも深く影響していきます。
今度こそ天下を獲るのか、いや数字重視のアベレージで守るのかという二択を迫られた際、シアンモアの経験をムダにすることなく、彼は再び立ち上がるのですが、そのお話はまたの機会に。
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日本の種牡馬シリーズ第1回、シアンモア&トウルヌソル編、いかがだったでしょうか。
人間界でも同じ時代に最高のライバルがいたために芽が出なかった人材、表舞台から消えたスターの話が数え切れないほど存在します。
種牡馬の世界では、形の種牡馬が一番強い王様です。
しかしそのキング1頭が天下を獲るまでには、大樹やスピードの種をまいたライバルたち数百頭の、世には出ない哀しい物語があります。血統表はキングとそのライバルたちが戦った夢の跡でもあるのです。
ご視聴ありがとうございました。