▼追悼ウオッカよ安らかに オレに牝馬の日本ダービー制覇を見せてくれた唯一無二の存在

あれは虫の知らせか胸騒ぎか

今年の1月に「ウオッカの今年の仔はタイプが違う、は本当か」という記事を出した。

今年の3歳にウオッカの5番仔・タニノミッション(牝・父Invincible Spirit)がいるのだが、どうも今までの産駒と違って、芝向きの切れがあるという評判だった。

そこでタニノミッションときょうだい達との違いを血統的に見たわけだが、本当になんの前置きもなく「今日はこれ」とひらめいて書いた記事ゆえ、ウオッカの今後に期待していたので大変残念だ。

今回は偉大な母ウオッカの配合そのものにスポットを当て、彼女に秘められていた類い希なる資質の源を探ってみたい。

ウオッカの繁殖サイクルは名牝中の名牝系に

以下は前回ウオッカ編からの抜粋になる。

フロリースカツプ 1904
 第四フロリースカツプ 12.4.4 3.18〜5.18
  フロリスト 19.4.27 き(○) 4.11〜6.11
   スターカツプ 30.3.30 き○ 3.13〜5.13
    第弐スターカツプ 37.3.16 き○ 3.2〜5.2
     シラオキ 46.4.7 き(○) 3.21〜5.21
      ワカシラオキ 60.4.15 ぐ× 3.29〜5.29
       ローズトウシヨウ 65.4.13 き○ 3.27〜5.27
        コーニストウシヨウ 77.6.12 ぐ× 5.26〜7.26
         エナジートウショウ 87.4.22 ぐ× 4.6〜6.6
          タニノシスター 93.3.22 ぐ(×) 3.5〜5.5
           ウオッカ 04.4.4 き○ 3.18〜5.18

ウオッカは泣く子も黙る名門「小岩井牝系」フロリースカツプ系の出身。

一番近いところだと母系に「トウショウ」という文字が見えるとおり、シスタートウショウ(桜花賞)や、シーイズトウショウ(スプリント重賞5勝)が近親となる。

そしておそらくフロリースカツプ系の中で、後世一番最後まできれいに残る系統がこのウオッカとシーイズトウショウの系統だろうと思う。

「ほぼ毎週競馬ナビ」2019.1.19号より

ウオッカの形はどこからやってきたのか

▼ウオッカ (04.4.4生・鹿毛)

父 タニノギムレット 99.5.4生  活性値4

2代父 ルション 81.4.10生  活性値3
3代父 トウショウボーイ 73.4.15生  活性値5
4代父 ダンデイルート 72.5.10生  活性値4
5代父 テユーダーペリオツド 1957生 活性値7

ウオッカの父タニノギムレットは中性期の種付けなので、3代父トウショウボーイの活性値5が最大となり、ウオッカの優先は母であるタニノシスター(1993・栗毛)ということになる。

ところがこれだけだと、母とウオッカは似ても似つかぬ姿形だし、母はスプリンターだし、一瞬「???」と思ってしまうのだが、母はシャドーロール着用馬でちょっと頭の高い突っ張った走りをする、いかにも「気性的に難しそうな」馬だったと記憶している(ちょうど競馬が面白くなっていた頃なので)。

よって自らの本来持つ適性とはかけ離れた場所で咲いていた可能性もあり、こういう場合は母自身の優先も探ってみると間違いがない。

母父ルションは劣性期ゆえ、母の優先はさらに4代さかのぼったテユーダーペリオツド(1957・栃栗毛・英国)になる。

テユーダーペリオツドは距離の融通が利いた馬で、自身なんと8ハロンから14ハロン!まで出走経験があり、日本での繋養中も菊花賞馬からマイラーまで幅広い適性の産駒を出した。

またテユーダーペリオツドは欧州産ゆえ、産駒は広くてコーナーの緩い大箱コースが大の得意となりやすい(だから秋華賞や有馬記念はちょっと…)。

タニノシスターに流れる本来の適性はここにあり、それがウオッカにはスムーズに伝わったということになろうか。

ウオッカの基礎体力は虚弱の一言

ローズトウシヨウ 65.4.13生  0.75
コーニストウシヨウ 77.6.12生  0.25
エナジートウショウ 87.4.22生  1.25
タニノシスター 93.3.22生  0.5

ウオッカ 0.5+1.25+0.25+0.75=2.75 →34

ビックリされるかもしれないが、ウオッカは決して体力に恵まれた名馬ではない。

日本ダービー制覇までの道のりは必要条件であるからあえて詮索はしないが、その後の宝塚記念挑戦→秋華賞3着→エリザベス女王杯取消〜翌春ドバイ遠征までの凡走劇は、ウオッカにとってはハッキリ「酷使」の部類に入る。

基礎体力の不足は年を追うごとに少しずつ補われ、最後の5歳秋のキャンペーンでは無類の安定感を誇るまでになったが、結局海外ではいいところがなかったのも、基本的な体力が不足していたからと思われる。(そういえば鼻出血もこれが遠因だったのだろうか…)

だからウオッカは6歳まで走ったのではなく、6歳で心身ともに完成期を迎えた晩成馬と言ってもよい。

では配合はどうすれば良かったのか

ウオッカがまだ健在ならば、こういう話は厳に慎むべきなのかもしれないが、彼女が星となってしまった現在なら、単なる与太話として流していただければと思う。

ウオッカの優先祖先のところでもお話ししたが、まずウオッカ自身に流れる代々の種牡馬活性が低いことはおさえておかなければならない。

これは、活性の高い種牡馬を付ける→すぐに父似になる ということだからだ。

そういう傾向を持った繁殖が、アイルランドに向けて旅立っていったということは

▼ガリレオやシーザスターズやフランケル似の欧州系産駒がバンバン出やすい

ということだ。

果たして彼女が産み、日本にやってきたウオッカ2世たちは、最初どの仔も「青い目をした」父似産駒だった。

しかし今年の3歳・タニノミッションだけはなぜか母と同じ「澄んだ黒い目」をしており、母の面影を色濃く写した娘に仕上がった。(長い流星に左後肢白。母は左前肢も白)

これが日本での正解配合ですよ、といわんばかりの母似っぷりで。

配合は付けた種牡馬を活かすか、強かった母を活かすかの2択である。

何も言わなくても優秀だった母似産駒続出のシーザリオ(サドラーのMAX活性)と違い、ウオッカにこそ夢だけでなく、綿密な配合理論が必要だったことはいうまでもない。

そして日本にはこれから劣性期を迎えるロードカナロアオルフェーヴルなどの種牡馬がたくさんいたのにな、とちょっぴり寂しく思うのだ。

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