▼キミは間違いなく最強の世代牝馬だった…ヒシアマゾンよ永遠に

28歳、老衰で…最後まで放牧地を歩いていた孤高のアマゾネス

米国の牧場で余生を送っていたヒシアマゾンが、現地時間15日夜、28歳の高齢で亡くなったという知らせが届いた。

同期の牡馬にナリタブライアンという怪物がいたことと、マル外という境遇もあってG1タイトルこそエリザベス女王杯と阪神3歳牝馬S(当時)の牝馬限定戦のみで終わってしまったが、とにかく堅実に追い込み、主戦・中舘ジョッキーの印象を大きく変えた牝馬でもあった。

繁殖入り後は故郷米国に渡り、かの地の種牡馬を付けるチャレンジングな試みがなされたが、結局いまひとつ走る仔を出すことはできなかった。

今回は彼女の活躍を、あの頃かなわなかった血統面から顧みることで、稀代の名牝を天国に送りたいと思う。

ヒシアマゾンの繁殖サイクル

Porthaven 1943
 Brabantia 1953
  Mortefontaine 69.4.21 4.5〜6.5
   ケイティーズ 81.4.22 ぐ○ 4.6〜6.6
    ヒシアマゾン 91.3.26 ぐ○ 3.9〜5.9
     ヒシアンデス 98.4.19 き×
     ヒシシルバーメイド 99.4.22 ぐ× 4.6〜6.6
      ニードルポイント 04.4.8 き○
      アイアムマリリン 06.2.4 き×
      アルジェンタム 08.2.6 き×
      アミカブルナンバー 09.1.23 ぐ×
     ヒシバラード 00.4.23 き× 4.7〜6.7
     Amazi 04.2.27 き○
     ヒシラスター 05.3.2 ぐ○
     Flying Warrior 06.3.14 き○
     ヒシラストレディ 09.1.26 ぐ×
     ヒシラストガイ 10.3.19 き○

ヒシアマゾン一族はケイティーズの系統で、近親にはアドマイヤムーン、スリープレスナイト、ゴーステディ、ケイティープライド、リーサルウェポン、そして現役キャロットC馬・ヴィッテルスバッハ(牡3・父ルーラーシップ)など、走る馬が目白押しの一大ファミリーである。

そのケイティーズ系日本大量導入の先駆けとなったのが、今回のヒシアマゾンということになる。

ケイティーズ系は基本「き×ぐ○」という判定だが、調べるとヒシアマゾン以下の子孫についてもまあまあその通りでいいのではないか、という気がしている。

というわけでヒシアマゾンの仔たちについては全て、また孫世代については中央で走った馬だけを列記してみると、第1期のMAX活性(00年産ヒシバラード)までは良いサイクルが活かされ、タイミングさえ合えば今後も走る仔が出そうな予感はある。

ただし後半のAmazi(04年産)以下についてはことごとく裏サイクルに当たったため望み薄で、この第2期を収穫なしで過ごしてしまったのがヒシアマゾンにといっては痛恨事だったようだ。

ヒシアマゾンの優先祖先

▼ヒシアマゾン (1991.3.26生)

父 シアトリカル(1982) 活性値8(MAX)

母父 ノノアルコ(1971) 活性値1
3代父 ポリツク(1953) 活性値7
4代父 Honeyway(1941) 活性値3

ヒシアマゾンの父シアトリカルがMAX活性のため、優先は父シアトリカルそのものということになる。

シアトリカルはNorthern Dancer系の中でも特に芝を走れる系統として有名で、世界各国で芝G1勝ち馬を出している。

ただ大将格のザグレブ(1993・愛ダービー勝ち)は残念ながら劣性期産駒でドイツ系に源を発するなど、シアトリカルの本当の父似産駒はやはり米国に数が多い。

ヒシアマゾンの芝クラシック適性はこの父から来ているが、彼女はデビュー戦(ダート!)、そして3歳春のクリスタルC(当時)勝ちなど、6ハロン戦でも負けないスピードを有しており、その点でもまれに見る適性の広さを示していた。

ヒシアマゾンの基礎体力

Porthaven 0.25
Brabantia 1.75
Mortefontaine 0.75
ケイティーズ 0.25

0.25+1.75+0.75+0.25=3.00 → 38

ヒシアマゾンは決して基礎体力に恵まれた馬ではなかった

こういう馬が3歳からビシビシ走り込むと、すでに秋口には良くない傾向が出るものだが、ヒシアマゾンの場合、

▼マル外という境遇が自身の出走条件を狭めていたためかえって幸いした

のではないかと思われる。

ヒシアマゾンの3歳時ローテをよく見てほしいのだが、阪神3歳牝馬S(当時)後、

京成杯
クイーンC

…(2か月半休養)
クリスタルC
NZT4歳S(当時)
…(4か月休養)
クイーンS(当時中山)
ローズS
エリザベス女王杯

というわけで、次のG1を勝つ秋まで一度もG1戦に出走できていないのだ(G2、G3ばかり5連勝www)。

これが当時のマル外の悲哀ではあったのだが、ヒシアマゾンの場合だけはそれがムダな消耗を引き起こさず、適度なローテで充実の秋を迎えることができた要因ではなかっただろうか。

ま、今なら「あの強い牝馬が春に1度もG1に出られないとはどういうことだ!」とJRAにお怒りの声が届くかもしれないが、当時はこれが普通のことで、彼女の存在はもしかしたら春の3歳戦が整備されるひとつのきっかけになったかもしれない。

ヒシアマゾンの残存クロス

ヒシアマゾンは当時としてもさほど新しい血脈で形成された産駒ではなく、よって唯一表中に残ったクロスがニアークティック(1954.2.11生)という珍しい牝馬だった。

しかもニアークティックのクロスがありながらNorthern Dancerは通っていないというのもまた貴重なケースで…。

調べると、父方シアトリカルにはもちろんニアークティックが残ってはいるが、母方の母父ノノアルコは1971年4月6日生まれであり、種付け時にニアークティックの17歳時MAX活性終了から1か月経過しているので、ニアークティックのゼロ活性産駒であることがわかる。

よってヒシアマゾンに残存クロスは存在せず、基礎体力値以上に健康で弱いところがない馬であることがわかる。

さらに父の活性値が4代全て異なり、また4系統の系列もNorthern Dancer系、ゼロ活性、マンノウォー系、ファラリス系とバラエティに富んでおり、頭脳の明晰さ、競走意欲も十分である。

【 結論 】ヒシアマゾンは出るべくして出た稀代の名牝であったが、その基礎体力の低さが明と暗の両方を生んだレアケース

競走では体力の低さが「災い転じて福となす」だったが、繁殖ではそれらが裏目に出て立派な跡取りは出ずじまい。

今後は孫娘たちのMAX活性期あたりが次の大物狙い時となりそうだ。合掌。

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