▼競馬ファンは降着をどう自己処理したらいいのか

初めて自分の立場に降ってきた降着騒動

重馬場要員としていたダイアトニックまで手を広げての的中で、どうということはない馬券なり。

1着入線馬が降着になったJRAのG1レースは、これで4例目なんだとか。

もちろんオジサンは雨のそぼ降る府中で起きた史上初の豊&マックイーン降着事件からはじまり、過去の全ての降着現場を見てきた暇人ではあるが、不思議と今までその馬券の当事者になった事は一度もなかった。

また人生においても「人が転ぶことでこちらに棚ぼたが落ちてくる」ことなど一度としてない立場で、その意味でも「オレもちょっと長生きしすぎたんじゃないか」と考えさせられる?今回の出来事ではあった。

降着のたびに巻き起こる「もしも論」

マックイーン時代とは降着扱いのスタンスが様変わりし、現在のJRAでは原則「着順優先主義」で、罰せられるべき対象だけ後で罰するが、起こったことにはあまり手を付けない、という欧米方式?クラス1方式?が採用されている。

これが一部の競馬ファンには「やられ損」に映るわけで、スポーツが現場で行われている限り、ワンモアプリーズが不可能な采配をどこで線引きするかは各主催者の永遠の課題と言える。

とくにお上がどう采配しようとも、カネを賭けているのはファンであり、ファンが納得する結果とお上の立場とは、これはもう永遠に相容れないものであることは容易に想像できる。

結論を先に言ってしまえば、競馬っちゅうのはこういう不利な舞台設定の上でカネを賭けるギャンブルである、と納得できればそれが一番いい。

賭け事で、もしもあの時と考えるのは一番の不毛であり(オジサンもグランアレグリアにはもうちょいスタート出てほしかったし)、不利なしの仮定現場を正確に再現しようとしたところで、その保証は誰にもできないし、またそのシチュエーションさえも不満に思う輩は大勢出てくる。

YouTubeなどという拘束も甚だしく、理不尽極まりない権力下の舞台設定に、毎週ちょこちょこ作品を出している者からすると、ある種「大きな力に泳がされている方がなんぼか気が楽」で、権力に立ち向かおうとするエネルギーはどこか他のことに使った方がよっぽど生産的に感じる。不利な舞台設定はすべて飲み込んだ上で、その先どこにエネルギーを使うかを間違えると、人生を180度こじらせることになる。

大きな力にいつも飲まれていろというのではない。大きな力に対抗せずとも、飲まれてやっている風でいなしているだけで、いつしか大きな力を転がす事態が起こり得るということだ。

大きな出来事の前ぶれは政治ではない。文化だったり、芸術だったり、庶民の茶飲み話だったり、風刺だったり、隠れたトレンドだったり、山はそういう何の変哲もないところから動き出したりするのだ。

だからこそ、月曜日になったらその熱さはおいといて、競馬をもう少し俯瞰した立場で顧みることがとても大切に思う。そうやって我々は日常に帰るのである。

▼競馬ファンは降着をどう自己処理したらいいのか」への2件のフィードバック

  1. 馬連しかなかったので傍観者の立場で見てましたけど私はグランアレグリアの能力確認できたから良しとしてます。離して逃げると思ってなかったんですけどねーーー
    展開予想は難しいです。

    1. 雑念が一切ない逃げ、とでもいうのか、力を出し切るってああいうことなのかな。

      立場にもよりますが、ファンには皆さんくらい冷静に物事を見てほしいですね。
      競馬に遊ばれているうちは、まだまだ自分も修行が足りないようです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です