※これは4月27日YouTube動画の台本原稿です。
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こんにちは、ドルメロチャンネルです。
さて今回は日本の種牡馬シリーズ第2回目として、日本に初めてアメリカンダミーの形を持ち込んだ張本人は誰だったのか、その謎にスポットを当てていきます。
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まずアメリカンダミーを知らないという方のために少しお話しすると、このアメリカンダミーというキーワードは、中島国治氏が著書「血とコンプレックス」の中で提唱した、4番目のサラブレッド始祖といわれる米国発祥の血統一系統を指します。
一般にサラブレッドは、アラブ等の3大始祖いずれかに源を発する品種であるとされます。その3頭の始祖の遺伝情報が組み合わさり生物として成立していますが、始祖が3種類しかないということは、遺伝の組み合わせバラエティは決して多くないし、かつ近すぎる種との組み合わせは弊害を生むというジレンマを抱えています。
しかし中島氏によれば、実はアメリカを発祥とするもうひとつのサラブレッド始祖の「ような」馬の系統が、古くから存在しているというのです。
中島氏はこれを「アメリカンダミー」と呼び、この第四の系統のおかげで現代のサラブレッドはある程度遺伝子組み合わせのバラエティ=「種の多様性」を維持していると提唱したのです。
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私があえてこのアメリカンダミーを「サラブレッドのような」系統と言ったのには、ちゃんと理由があります。それはアメリカンダミーの誕生自体が、非常に怪しい生産手法の上に成り立つものだからです。
アメリカンダミー生産のからくりはこうです。
まず1頭のサラブレッド繁殖を用意します。そこへサラブレッドの種牡馬と、クォーターホースの種牡馬を同時期に種付けします。
すると生まれた仔の中に、サラブレッドとクォーターのいいとこ取りをした姿のハイブリッド種が登場します。これがアメリカンダミーです。
血統登録がまだしっかりしていなかった19世紀の終わりから、アメリカではこのハイブリッド種を意図的に隠してサラブレッドとして登録したケースがいくつもあるらしく、中には大レースを勝ち、なんと種牡馬として血を残すハイブリッドまで現れました。
この状態は当時も半ば公然の秘密として通用し、当然ながら現代のサラブレッド血統表にまで深く影響する事態となっています。
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ここで一般論にはなりますが、このアメリカンダミーがサラブレッド種と交配されると産駒はどうなるか、その効果を挙げておくと
ひとつは 体質が頑強になる
もともと品種改良の末に弱点も抱えながら成立したサラブレッドに、外部からほぼサラブレッドではない種の血が入るわけですから、これはいやが上にも体質の強化につながります。
ふたつめは 頭脳面が刷新される
体質面同様、ともすれば競争のない仲良しクラブに陥りそうな凡庸なサラブレッドの頭脳に新しい風を吹かせ、競争意欲やボス性を復活させる
そして3つめが 純粋なスピードアップに寄与する
アメリカンダミーという種は、見る人が見ればわかる足元の形、とくに繋ぎの部分に明らかな特徴があったと言われています。それこそがクォーターホースから由来する形であり、短距離向きのスピードに対応、全速力のスタートダッシュも可能にしました。
さてこのようなハイブリッド種アメリカンダミーの血が、日本には最初どうやって入ってきたのか。実は最初の導入例は、どうやら直接種牡馬によるものではなかったようなんです。
いったいどういうことなのか、次のコーナーから詳しく解説していきます。
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競馬創生期の日本に外国から導入された馬といえば、もちろん前回のシアンモアとトウルヌソルのように、イギリスあたりの芝の種牡馬ばかりがクローズアップされがちですが、ひとつ忘れてはならないのが、当時繁殖牝馬もまたかなりの数が世界各地から日本に輸入されていた、という事実です。
そのなかの一例として、戦前御料牧場が導入したいわゆる「星」系の繁殖牝馬という馬たちがいます。これはアメリカから2年間に計6頭の牝馬が基礎繁殖として輸入されたもので、それぞれ頭文字「星」から始まる和名が付けられ、今日の血統表にも繋がっています。
かつて社台Gの総帥・吉田善哉氏は、この「星」の繁殖牝馬について以下のように回想しています。
「夜、牧場で星を見ると、私は『星の付く肌馬』を思い出す。10代の頃、父親に頼んでよく御料牧場の『星の馬』を見に行った。彼女たちはまさに女王に見えたものだった……」
このエピソードは、吉田氏が星の馬たちに抱いた憧れもあったでしょうが、ひょっとすると外部から見た繁殖たちの馬体に、アメリカ産馬の顕著な特徴を認めたのかもしれません。
たとえばそれまでのヨーロッパ産の馬に比べて、脚ががっしりして、繋ぎが短くて、牝馬にしては筋肉質で、丸々としていかにも中身が詰まった印象などですね。
ではその身体的特徴を、星の母たちは後世の日本競馬に伝えたのかどうか、それはアメリカンダミー発展の元祖といってよいのか、次はそこを詳しく見ていきましょう。
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1930年代、アメリカからやってきた「星の母」6頭には、ごらんのような血統の特徴がありました。
ここで最初に気がつくのは、彼女たちはアメリカからやってきた繁殖牝馬なのに、その半数が欧州の優先祖先をもっていたということです。
もちろん実の父親はみな米国馬なのですが、それが劣性だったりゼロだったりと、形としての役割を果たしておらず、実際には母系のヨーロピアンな形が出ている。
緑の文字で書かれたのがそれにあたり、星友、星若、星浜、そして星富は、ほぼ欧州系の繁殖牝馬と同義であると言えます。よってこれら4頭の繁殖たちは直接にはアメリカの血を日本に伝えていないことになります。
では残る繁殖2頭、星旗と星谷、それから星友の産駒で日本で種牡馬になった持込の月友はどうなのか。ここは詳しい調査が必要です。
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順番は入れ替わりますが、まず星の馬1頭目は「星谷」 米国名Secureです。
本馬は実の父米国産のPurchaseや母系3代前の英国馬Greenbackがともにゼロ活性である場合だけ、母系のアメリカンダミーを広めることが出来ます。
アメリカンダミーとされるのは、緑で塗ったBen BrushやPeter Panのことですね。よって発現の条件はかなり難しいので、この星谷が日本でアメリカンダミーを広めたというには、やや無理があると思います。
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たとえばこれは1956年の目黒記念を勝ったトヨタニですが、彼はこの星谷にトウルヌソル、シアンモア、ロックフォードと配合して生まれた活躍馬です。
母のタニツバメが誕生した時点で、母の中にはいちおうゼロ活性の大樹、形のトウルヌソル、そしてスピードのシアンモアというサイクルが見え、ここで配合としては一度完成形を迎えています。つまり星谷の父Purchaseはやはりゼロ活性か、少なくとも大樹の役割を帯びていたのだろうと思います。
母タニツバメはオークスでも4着に入った馬で、他にも2着7回3着10回という超堅実な馬でしたが、配合上で残念だったのはトウルヌソルに得意な形の役割をさせていない点です。
ここがもし優性なら自分の配合もレベルアップし、さらにロックフォードよりも活性値が高ければ、今度はロックフォードがスピードの種まき役に代わり、トヨタニの配合レベルを上げられたと思います。トヨタニはクロスがメチャ多い馬なんで、本来はそれを活かしたいところ。
種牡馬を3つの役割で配合を見ると、そんな妄想も浮かんでくるんです。
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つづいて、星の馬2頭目は「星友」 米国名Alzadaです。
彼女もまた米国産の父がゼロかMAXかという前提により、その意味が大きく異なる繁殖です。いちおうこの血統表は父がMAXだと仮定して作っていますが、たとえそうであっても、優先祖先のHanoverはアメリカンダミーではありませんし、もし父がゼロなら優先祖先は母系のSt. Simonへと遡るようです。
以前の動画でもお話ししたように、St. Simonという大種牡馬もまた、馬体や足元にヨーロピアンらしからぬ特徴があった馬でした。
繋ぎが短く立ち気味で、胴も短く、スピードは抜群に出たものの、長距離戦のあとは脚が疲れすぎてプルプル震えていた、という逸話が残っています。
本質的には長距離は向いていなかったんですよね。
もしそのSt. Simonの特徴がこの星友に出ていたとしても、御料牧場の買い付け人はこれこそ米国馬の特徴だと勘違いしたかもしれません。実際父似であっても母似であっても、星友はおそらく馬体的には純・米国産馬に見えていたのだと思います。
よって星友はアメリカンダミーではありませんでしたが、来日前すでに彼女のお腹の中には持込の牡馬がいました。それが月友です。
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月友の父はMan o’ War。競馬史上においてアメリカを代表する競走馬の1頭です。
種牡馬になってもこのMan o’ Warには、非常に厳しい頭数制限がかけられていました。よって当時、輸入繁殖にMan o’ Warが付いていただけでも幸運なことで、日本で産駒が牡馬として生まれ、やがて種牡馬になることなど、もはや奇跡と呼んでいい確率だったはずです。
そして確かにこの月友は、父Man o’ Warの形を継ぐ正統後継馬でした。
ところが意外なことに、その偉大な父Man o’ Warは、どの米国産馬の形も継いではいなかったのです。生まれつきの脚長で、どちらかというとスッとした立ち姿、おそらく彼は典型的なヨーロピアンスタイルだったのでしょう。
はるばる米国から連れてきた親子でしたが、息子の月友もまた繋ぎにゆとりのあるヨーロピアンな印象の馬でした。
戦中のカイソウをはじめ3頭のダービー馬を出すなど、種牡馬としても一定の成功を収めますが、その血統的意義はやはり傍流マッチェムの直系であるという事実が大きかった。
彼もまたアメリカンダミーではなかったのです。
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星の馬3頭目は「星旗」 米国名Fairy Maidenです。
彼女は父Gnomeの強い優性期産駒で、母父のMaiden Erleghがゼロ活性であれば、星旗は何かしらアメリカ馬の形を継ぐ繁殖だったといえます。
ただその形がいよいよアメリカンダミーだったかどうかは確率半々といったところで、それは父の父Whisk Broomにゼロ活性の可能性が残されているからです。
ここがもし本当にMAXならば、この星旗こそが来日アメリカンダミーの元祖であり、彼女の産駒もまたアメリカンダミーの効果で、のちに天下を取ったのかもしれません。
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その星旗の息子こそが、のちのリーディングサイヤー・クモハタです。
こうして血統表を見ると、クモハタが形の種牡馬であったことは間違いなさそうです。浅い父似から順にトウルヌソル、Gnomeという優先祖先を遺伝し、そのいずれもが際立った優秀な形を持っていたらしい。
クモハタという種牡馬は記録面から見ても突出して優秀なサイヤーで、現代でいうとキンカメやサンデークラスの大きな影響力がありました。
かつ1952年から6年連続のリーディングという長期政権だったことも合わせれば、一瞬、星旗=アメリカンダミー説もかなり有力に思えますが、こればかりは確定できません。
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クモハタの代表産駒にはメイジヒカリという馬がいます。
この馬は典型的な浅い父似の産駒で、優先祖先はトウルヌソルで止まっています。
ということは、やっぱりクモハタの種牡馬成績の半分以上はトウルヌソルの優秀さによるものかもしれない。
その証拠にメイジヒカリも種牡馬として父似の産駒が多数活躍していますが、さらに一代祖先が遠くなったこともあって、優先祖先はほぼトウルヌソルどまり。Gnomeまで遺伝が届くような馬はいません。
となると残念ながら星旗アメリカンダミー説の信憑性は、グレーよりももっと薄いオフホワイトどまり、といったところでしょうか。
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ここまでの調査で、いわゆる星の母たちはどうもアメリカンダミー導入の元祖ではないらしい、ということがわかってきました。
が、それとは別にひとつ不思議に感じるのは、星の馬としてなぜこんなにも頑なに直系父系のゼロ活性牝馬ばかりを選んだのか、もっというと他の牝馬3頭も合わせて、なぜ直系の父を評価していない母ばかりを選んだのかという点です。
シリーズ第1回、第2回の調査全体を通じて、黎明期の日本馬産界にも驚くべき血統の達人が複数いたことに気づかされました。石塚のように名は知れずとも、官民いずれの組織にも血統面を重んじ、的確な分析ができる優秀な担当者がいたのです。
そう考えたとき、この御料牧場「星の馬」導入にも、賢人たちによってある一定の歯止めみたいなものが掛かっていたのかもしれません。
なぜなら、まず2年という時間をかけたにしては導入の頭数自体が少ないということ。
そしてひょっとしたら当時の日本でも、アメリカンダミーの噂をすでに聞きつけており、怪しげな馬名候補をあぶり出して、アメリカ血統の影響力を最小限にしようと、直系の血が薄い繁殖ばかりを選んだのではないか。
あくまで当時の日本競馬の基礎は、イギリス式ですしね。
星の母6頭の選別過程については、テシオ理論とは違う考えをもった他人が出した結論ですから、私が軽々に断定することは出来ません。
しかし一度手にしたサラブレッドという種を、この日本でどう維持発展させていくかに、生産サイドがかなり心を砕いていたことは事実です。
その試行錯誤は、後の時代とはやや方向性が異なり、戦前の方がむしろ世界基準で、健康的な視点を交えながら、馬の血統を捉えていたと私は思います。
その辺のお話は、またの機会に。
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日本の種牡馬シリーズ第2回、御料牧場「星の一族」編、いかがだったでしょうか。
結局アメリカンダミーの形が本当に日本で猛威を振るうのは、もう少し後の時代だったのかもしれません。むしろ戦前は外国から来た珍しい傍流血統のような扱いで、母系に入って陰ながら健康面や精神面に寄与したものと思われます。
そして戦後のアメリカンダミー系発展については、また回を改めてお話しするつもりです。