▼広報部長、おつかれさま 2.10

先日ブログに、古い読者さんからひとつの報告をいただいた。

その方を仮にPさんとするが、Pさんは以前からドルメロのYouTube、ブログ活動をSNS等を通じて広く発信してくれていた方で、私も「広報部長」として正式承認?し、頼りにしていた方である。

一方でPさんはご自分でも研究成果や血統情報などまとめたものを、デジタルデータという形で世に出しておられた。機が熟したら、私の方でも宣伝応援等をしたいなと思っていたところだったが、このたび「今年10月限りで表向きの活動撤退」を決められたという。

私としては暮れにコメントを交わしたばかりでやや唐突な感が否めず、正直身の周りに何かあったのだろうかと心配しているのだが、文面からは「そろそろただの一クラブ会員として静かな研究生活に戻りたい」とのお気持ちが読み取れたので、お元気ならばそれで十分、まずはこうして今までの交流に感謝を示した次第だ。

もちろんブログには今まで通りコメントをいただけるということなので、面白いことがわかったら、また気軽にお話ししてほしいと思っている。

ひとつの意見は全体の1割の意見である(でしかない)

彼の撤退について詳しい理由は今後も問わないつもりだが、感謝とはなむけの意を込め、ひとつ私の独りよがりな意見をお話ししておこうと思う。

私もこんな稼業が長い人間なので、記事を書いたり、動画をアップしたりという作業に莫大なエネルギーを費やすことはよくわかる。また元が新聞記者でもあり、一時期とはいえそれを生業としていた頃は、それこそ締め切り=「紙面に穴をあけない使命」にばかり気が行き、果たして記事として価値あるものに昇華できていたか…ふり返ると、とたんに顔から汗が出てしまう。まだ若かったのだろう。

記者時代はSNSもなかったので、新聞記事に寄せられる反響が今より大きかった。それは時に辛らつで、時に温かく、デスクからは「ひとつの投稿意見の後ろには同じ意見を持つ人が10人いると思え」とよく言われた。だから私は今でも「わざわざ良コメントしてくれる方はその1割の方なんだな」と思うし、反対に辛らつな意見がきても「これも1割の意見のうち」と思えるので、全体を俯瞰して見られるクセが付いている。

現代のSNS全盛期において、この仕事柄、体得した「俯瞰癖」は私をずいぶん助けている。YouTube含めたSNSを自分のための全て、狭いながらも心地よい世界などと見誤ることがない。主宰者でありながらこのオジサンYouTuberは、やはりどこか冷めているのである。

アウトプットは人からエネルギーを奪う

さて新聞記者は当然ながら、取材をして記事を書く。それは真実を見逃さないという表向きの理由もあろうが、本質的には「人間はインプットしたものしかアウトプットできない」という特性から来るのだろう。

デスクやトップ記者といえども、自分の意見記事がスラスラ通るほど世の中は甘くない。それどころか、記事内に自分をさらけ出した瞬間、自らの器の小ささに気づかされることばかりで、言い換えれば「自らの意見を入れない中立性を保つためにあえて取材を挟んだインプットが必要になる」のだと思う。

マスコミの中の人や文化人が、自らの知ったかぶりでSNS上で大失敗するのも、インプットなしの空っぽの自分をいい気になって晒すからだ。

これをもっと大げさにしたものが「作家」だろう。作家はもちろん取材もするが、フィクションの世界を書くとき、そこは作家一人一人独自の世界観に染まる。これはその作家がそこまで積み上げてきた経験を少しずつ崩しながら染めていくのであって、結局「自分の人生を深く内省しながら書く」という恐ろしい作業が必要になる。

だから文学作品にはその作家の色が強く出て当然だし、ヒット作の後「すこし書けなくなった」と感じても当然なのである。それは作家の人生そのものを切り崩した後なのだから。

すこしお休みしましょう

世に自分の意見を問う、という作業はとてもエネルギーを使うものだ。それがたとえ「誰にも見られなくたって気楽でいいや」と思っても、人間は心のどこかに承認欲求がある。少数派の意見まで拾われやすい今の時代ならなおさらで、気づかないうちに「渦中の人」になり、イベントの中心となり、気分が揚がり、調子に乗ったあげく、もめ事に巻き込まれるケースが後を絶たない。

そんなとき自分を助けるものは、ふたつしかない。ひとつは「インプット」であり、もうひとつは「休養」である。だから心が弱った時は、休養して自分の好きなことをインプットするのが一番いいのだ。

別に何かを勉強する必要はない。芸術でもエンタメでも人は満足できる。要は心を満たした後でないと、仕事でもプライベートでも「本当に大切なもの」を満たす器は持てないのだから。

ドルメロはというと、今はYouTubeが面白いので心満たされ活動中だが、一方でチャンネルの未来像は別にどうとも思っていない。それどころかチャンネル活動が一段落したら「今度は小説を書きたいな」という漠然とした気持ちを持つほど、今の状況に高揚感も不満もなく、さりとて変な固執もない。

かつて作家宮本輝氏が「名馬・風の王」というおとぎ話にヒントを得て、「私自身の『風の王』を書きたい」と思い4年にわたり連載したのが、あの名作「優駿」である。しかしそこに「書きたい欲求」はあっても「意義」とか「使命感」のようなものは感じられない。

意義や使命は「ブンヤの記者連中が持つとまず失敗する盾」でもある。記者ひとりの使命感、道徳観など大抵がお門違いで、世界のどこにも刺さりはしないからだ。だから取材をしろ、しっかり裏を取れという話になるし、私のYouTube動画もデータの裏付けがある上でストーリーを考えるので、正直、話の結末がどこに転がろうともあまり怖い気はしない(だから馬券は当たらない)し、今はかえってそれを楽しんでいる。

そしてかくいうドルメロもまた「私自身の『優駿』を書きたい」と最近思うようになってきた。そう、私たちなどは単に書きたい、出したい欲求で動いたらいいレベル。誰に遠慮がいるものか。もちろんYouTubeとの兼業はかなわないので、計画はもう少し先延ばしだが、いずれその時も来るだろう。そうなればYouTubeはお休み。ええ、それでかまいません。

人間という存在はよくできたもので「もう二度とやらない」と思っていたことなのに、またやりたくなることがあります。それは心の位置取りや幸福度が変わったときに起こります。また以前とは少し違う形でやりたいことが見つかるときもあります。

それまでゆっくり休んでください。いつでも帰ってこられます。競馬はまだまだ続くようですから。残りの活動期間が実り多きものとなりますよう。

▼広報部長、おつかれさま 2.10」への1件のフィードバック

  1. ドルメロさん、こんばんは。ご無沙汰しております。
    目まぐるしい忙しさが続いていましたが、今日ようやく一息つけた時にふっと久しぶりにコメントさせて頂こうと思い、筆を取りました。

    10月でのnoteマガジン廃刊に向けて、エネルギーを振り絞っていますが仕事の方がめちゃくちゃ忙しく、てんてこまいの日々です。Twitterも今週から基本的にしばらくお休みにして、見るだけにしていますが、募集時期なので良くも悪くも盛り上がっています。

    元々は年明けくらいに今年は4月頃から忙しくなることも分かっていたのですが、彼の国の戦争でそれも後ろ倒しになっていました。遅れてやってきた忙しさにだんだん追い込まれつつもあり、本当にもはやコンテンツを作る時間を持つことは10月を待たずに出来なくなりそうな勢いです。

    そんな中で一口の方は3歳世代勝ち上がりゼロ、丸1年勝利から見放されるなど絶不調なので、少し静かに暮らす時が来たのかな?とも薄々感じていた事が後付けにはなりますが、ここに来て、より自然に後押しされているように感じています。
    私の方はもう結果に一喜一憂せず、特段落ち込んだり悩んだりはしておらず、愛馬の一進一退を毎週楽しんでいますのでご安心ください。

    今年もドルメロさんのコンテンツ楽しみにしています。
    ユニオンは今日価格などが発表されましたが、リアルスティール、ドゥラメンテ、ドレフォン、ダンカーク、ホークビル産駒に個人的には注目しています。
    右も左も分からなかった自分が重賞を勝たせてもらった牧場さんにちょっぴり恩返しさせて頂く年かな?と思っています。

    暑い日が続きますが、ドルメロさんも体調にはくれぐれもお気をつけください!

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